ひのでほうおうず 日出鳳凰図
江戸期京都派を代表する画人
特製絹本(代用絹本)・彩美版®・軸装
版元シール
画寸(縦x横):
94.0 x 33.0 cm
額.軸寸(縦x横):
183.0 x 52.5 cm
作品状態:良好
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作品概要
伊藤若冲(1716〜1800)は、京都錦小路の青物問屋に生まれた。若冲と親しかった相国寺の大典和尚によると、かれは初め狩野派を学んが、その伝統に縛られることを嫌って、中国宋元画の模写に精力を傾けた。しかし、これも描かれた対象をもう一度なぞっているにすぎない。結局は、実際の「物」の描写こそもっとも重要であるということを悟るに至った。そこで、若冲は鶏数十羽を自分で飼い、その写生から始めたという。しかし、若冲の作品は、けっして単なる写生画でなかった。実在の花や鳥をじっと観察する若冲の視覚には、外面の形態を越えて、内面の本質がとらえられていたのである。
それが若冲の個性的な美意識を濾過するうちに、他の誰も真似のできない力動感あふれるフォルムと、刺激的な光を放つ色彩へと生まれ変る。その結果、現実の花鳥から出発したものでありながら、きわめて幻想的な画面空間が、我々のまえに現出することになるのである。
このような若冲のすぐれた作品の一つに、ボストン美術館に所蔵される「日出鳳凰図」がある。
古来中国や日本で、麟・龍・亀とともに四瑞として尊ばれてきた想像上の瑞鳥である鳳凰に朝日が添られ、いかにもめでたい吉祥の図柄となっている。しかし、右に指摘したような若冲の特徴は、まだあまりはっきりとは現われてきていない。描写はおとなしく、全体の印象も静謐である。それだけに、代表作として有明な「動植綵絵」(宮内庁蔵)などには求めがたいナイーブな美しさがある。
このような点から、この作品は現存する若冲画のなかで、もっとも早く描かれた「若がき」であり、おそらくは三十代半ばの制作と推定されている。だが、心を落ち着けてよく見るならば、やがて花開く若冲の美的特質が、すでに芽吹いていることに気づかされるのである。
河野 元昭(東京大学教授)
伊藤 若冲1716年(享保元年)~1800年(寛政12年)
経歴
1716年(享保元年) 京都の青物問屋「桝源」主人三代伊藤源左衛門の長男として生まれる。幼名不詳。
1738年(元文3年) 父源佐衛門、四二才で没。若冲四代目源佐衛門となる。
1755年(宝暦5年) 次第白歳に家督を譲り、画業に専念する。
1764年(明和元年) 金刀比羅宮奥書院に赴き障壁画作成。
1765年(明和2年) 釈迦・普賢・文殊像三幅対、および花鳥図「動植綵絵」二十四幅を相国寺に寄贈。
1975年(安永4年) この年板行の「平安人物志」に、応挙、若冲、大雅、蕪村の順で載る。
1790年(寛政2年) 大阪西福寺および伏見海宝寺にて障壁画作成。
1799年(寛政11年) 石峯寺本堂天井画花卉図作成。
1800年(寛政12年) 九月八日没。十月二十七日相国寺で法要行われる
1889年(明治22年) 相国寺、「動植綵絵」三十幅を宮中へ献納、金一万円を下賜される。