はっかくず(なみにつる・まつにつる) 白鶴図(浪に鶴・松に鶴)
江戸期京都派を代表する画人
特殊絹本・彩美版®シルクスクリーン手刷り・軸装
限定800部
版元シール
桐箱
画寸(縦x横):
65.2 x 36.6 cm
額.軸寸(縦x横):
151.5 x 54.0 cm
作品状態:良好
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作品概要
実物の写生とともに中国の名画に学ぶことも熱心だった若冲は、相国寺に所蔵されている明代初期の画家文正(ぶんせい)の「鳴鶴図」双福に描かれた二羽の鶴の姿に倣い、日本人好みのめでたい図柄に組み替えて、大胆に全体を変容させたのであった。ここに描かれている鶴は千年の寿命を保つと伝えられ、常盤(ときわ)の緑を讃える松の木も長寿の象徴なので、ともにこの絵を持つと人と家とが永く栄えるようにとの願いが込められているのである。
絵の見どころは、鶴ののびやかな姿態の様子とこまやかな羽描きのみごとさ、生命力にあふれた松の老木の幹と枝葉の描写、デザイン化された独特の波の形態など、随所に若冲の独創が認められるところだろう。また、双鶴の動と静の対比もみごとに決まっている。
小林忠(学習院大学名誉教授 岡田美術館館長)
伊藤 若冲1716年(享保元年)~1800年(寛政12年)
経歴
1716年(享保元年) 京都の青物問屋「桝源」主人三代伊藤源左衛門の長男として生まれる。幼名不詳。
1738年(元文3年) 父源佐衛門、四二才で没。若冲四代目源佐衛門となる。
1755年(宝暦5年) 次第白歳に家督を譲り、画業に専念する。
1764年(明和元年) 金刀比羅宮奥書院に赴き障壁画作成。
1765年(明和2年) 釈迦・普賢・文殊像三幅対、および花鳥図「動植綵絵」二十四幅を相国寺に寄贈。
1975年(安永4年) この年板行の「平安人物志」に、応挙、若冲、大雅、蕪村の順で載る。
1790年(寛政2年) 大阪西福寺および伏見海宝寺にて障壁画作成。
1799年(寛政11年) 石峯寺本堂天井画花卉図作成。
1800年(寛政12年) 九月八日没。十月二十七日相国寺で法要行われる
1889年(明治22年) 相国寺、「動植綵絵」三十幅を宮中へ献納、金一万円を下賜される。