検索結果

HOME >> 商品一覧 検索結果 >> 紅梅

紅梅

前田 青邨

文化勲章・帝室技芸員・日本芸術院会員

紅梅

他の画像を見る

作品名紅梅
作家名前田 青邨
技 法紙本・彩色・額装 3号  平山郁夫鑑定シール 東京美術倶楽部鑑定委員会鑑定証
状 態画寸法 27.2 × 24.1 cm                                    額寸法 46.3 × 43.4 cm                                   作品状態良好
備 考価格と詳細はお電話でお問い合わせください

大胆な円形の枝ぶりによって展開される紅梅の図。日本の美意識が桃山の古い時代から生み出した装飾画法、琳派の様式を思わせます。それは装飾性とデザイン性、梅の木のたらし込み技法がまさにそれを物語っています。そして歴史画を専門とし幅広い学習を積み重ねた前田青邨画伯ならではの格調高さが感じられます。小品ですがこの作品は、日本画の美の結実といえるでしょう。

前田青邨経歴 1885年(明治18年)〜1977年(昭和52年) 

明治18年1月27日、岐阜県中津川町に生まれる。本名廉造。
34年二度目の上京、梶田半古の内弟子となる。塾頭格の小林古径を知り、35年日本絵画協会に入会、日本美術院との第12回連合絵画共進会〈金子家忠〉で初入選、三等褒状を受け、翌36年第5回内国勧業博覧会に〈防箭〉で褒状を受ける。39年に巽画会研究会、40年には紅児会に参加、東京勧業博覧会に〈御興振〉で二等受牌、国画玉成会展に〈 因れたる重衡〉で三等賞第一席を受賞する。紅児会展に出品を重ねるとともに44年第5会文展に〈竹取〉で褒状、翌大正元年第6会文展に〈御興振〉で三等賞を受賞する。この年萩江節の家元萩江露草の妹すゑと結婚、3年再興第1回院展に〈竹取物語〉〈湯治場〉を出品、日本美術院同人となる。4年朝鮮に旅行、5年古径と関西に旅行、7年最初の個展を大阪・高島屋で開催、日本美術院評議員となり、8年中国を旅行、と同時に院展に〈朝鮮之巻〉〈京名所八題〉〈燕山の巻〉などを出品、初期の歴史画から旅行の成果を示す風景画への移行を見せる。11年古径とともに日本美術院留学生として渡欧、ロンドン・大英博物館で伝顧之の〈女史箴図巻〉の模写に従事し、翌12年帰国、東洋画への大いなる自信を摑み、14年第12会院展に〈伊太利所見〉を出品したのち、昭和2年第14回院展に〈羅馬使節〉を出品、さらに4年第16回院展に名作〈洞窟の頼朝〉を出品する。昭和5年〈洞窟の頼朝〉で第1回朝日賞を受賞、まだ日本美術院経営同人となり、その後も院展に〈罌栗〉〈石棺〉〈鵜飼〉などを出品、10年帝国美術院会員となり、中国東北部を旅行、11年春の改組帝展に〈観画〉を出品、13年再び中国東北部や大同、朝鮮を旅行してその後の院展に〈石物〉〈朝鮮五題〉などを出品、14年神奈川県北鎌倉に移住、19年帝室技芸員となる。戦後は院展に〈郷里の先覚〉〈風神雷神〉〈Y氏像〉〈出を待つ〉〈欲女群像〉〈プリンセス〉などを出品、多彩な人物画に名品をのこし、26年東京藝術大学日本画科主任教授となり、30年文化勲章を受章する。横山大観、古径なきあとの院展に〈御水取〉〈白頭〉〈大物浦〉〈異風行列の信長〉〈腑分〉〈知る盛幻生〉などを出品、34年東京藝術大学名誉教授となり、39年日光二荒山神社宝物館壁画を完成、42年に安田靫彦とともに法隆寺金堂壁画再現模写の総監修、47年には高松塚古墳壁画模写の総監修をつとめるなど、靫彦・青邨時代を築く。この間、29年間古稀記念の回顧展が銀座・松屋で、訪中日本画代表団の団長として中国を旅行した35年に中国を描く前田青邨展が日本橋・高島屋で、36年の喜寿記念の回顧展、46年の米寿記念の回顧展も日本橋・高島屋で50年には大規模の回顧展が東京国立近代美術館で開催され、41年郷里中津川に記念館が開館する。また46年にはすゑ婦人が古典萩江節継承者として日本芸術院会員となる。昭和52年10月27日、東京都文京区の病院にて歿(自宅は鎌倉市)。享年92歳。

▲ページのトップに戻る

日本画
洋画
掛軸
版画
彫刻
工芸品
複製画

イメージから作品を選ぶ

季節から選ぶ

春の作品
夏の作品
秋の作品
冬の作品

お部屋から選ぶ

オフィスに合う作品
応接間に合う作品
リビングに合う作品
和室に合う作品

題材から選ぶ

人物
花・植物
風景
静物画

トーキョウアートギャラリー

作品をご自分で選ぶことができます。
アートギャラリーにお越しください。
事前に連絡をいただければ土曜日も開廊いたします。

JR新宿駅東口
徒歩6分

アクセスMAP

オンラインショッピングメニュー

作品の購入のご案内
よくあるご質問